ありがとうございました。
創業者である父(弊社会長、畦地多司世)が平成30年5月17日、母と妹が見守る中静かに旅立ちました。
弊社は昭和51年、父が脱サラして始めたのすが、母曰く、本当波乱万丈な人でした。
当時、酒屋に卸すのが主な業種でしたが、周りの同業者から絶対無理と言われていたスーパーを開拓し、どんどん得意先を増やしていき、今のあぜち食品の礎を築きました。
(昭和62年頃、自宅がまだ仕事場だった頃)
昭和63年、漏電による火災で社屋が全焼し、その疲れで翌々年、父は脳梗塞で倒れました。42歳の時でした。
それから父の闘病生活が始まりました。
脳梗塞だけでなく、晩年は大動脈解離、大動脈瘤で大手術、長期入院を乗り越え、昨年は社長を引退し養生していたのですが、その年の10月4日、心筋梗塞で倒れ、先日、息を引き取りました。
息を引き取る2時間前、40年来の付き合いがあった歯科医の先生と母がエレベーターでバッタリお会いし、先生にお声掛けして頂けたこと。
亡くなる2日前、どうしても気になると言っていたお寺を見つけ、電話するも連絡がつかず、亡くなった日に連絡が取れ、頼んだお坊さまが、なんと2、30年ほど前の取引先のスーパーのバイヤーをしていて、父を知っていたこと。
倒れてから何度も危ない橋を渡っていましたが、10月のバザー等繁忙期、年末年始の繁忙期、花きびの時期をずらし、決算処理も終わった翌週の週末に葬儀と、私たちに最期まで気にかけてくれているように旅立っていきました。
生前の父の強い意志で、家族葬だったのですが、月曜日に新聞でご挨拶したところ、たくさんの方に来ていただき、40年お付き合いしている某スーパーの会長も喪服姿に着替え飛んできてくださり、頭が下がる思いでした。
こんなに長い間苦楽を共にしてきたのに水臭いじゃないか。連絡が欲しかった、、、
と、お叱りを受けました。
皆様に不義理をし、本当に申し訳ございませんでした。
お得意先様にまで沢山お声掛けをしていただき、心から感謝いたします。
父が築いた会社をこれからも継続できるよう、私も精一杯頑張りたいと思います。
まだ心にぽっかりと穴が開いているような不思議な感覚ですが、これからも変わらぬご愛顧の程、どうぞよろしくお願い致します。
有限会社あぜち食品
代表取締役 和田しほこ
(2004年9月、牧野植物園にて。鳥や植物が本当に大好きでした)
ポップコーン1万個出荷の時、しんどいはずなのに、嬉しくて一緒に運んでくれた時の写真。
2013年12月、当時のスタッフとの記念写真。複数回の大動脈瘤の手術をしていたころ。
今思えば顔色が少し悪いけれど、ひょうきんな人だったので、そんな様子は見せませんでした。
会長が築いてくれたあぜち食品を、皆で協力して、これからも続けていきます。見守っていてください。